東京タワー

東京タワー01

「昭和」と「平成」それぞれの顔

最近のインターネットでの東京タワーの画像や撮影される写真は、スカイツリー、通天閣などの他の塔に比べると、圧倒的にライトアップされた姿が多い。東京の夜景には欠かせない存在といえます。興味深いのは、「昭和時代の東京タワー」の代表的なイメージは、青空を背にそびえ立つ姿で、力強い男性的なイメージですが、平成になってからは都会の夜景に光を灯すような、女性的なイメージに変貌しています。

もっとロマンティックにいえば、昭和では「太陽」のイメージ、平成では「月」のイメージになっているのではないでしょうか。実はこれにははっきりした理由があります。


ライトアップ・照明の歴史

東京タワーが現在のように夜間にライトアップされるようになったのは、1989年(昭和64)の元日からです。それ以前は電球によるイルミネーションが施されていました。開業時から、タワーの鉄塔には四つ足に沿って、5メートル間隔で数個の電球がタワーの輪郭をかたどるように取り付けられていました。

昭和の東京タワー

イルミネーション(1958〜1988)

イルミネーションは東京オリンピック以後から本格的になり、連夜点灯を開始したのは1965年からのクリスマスイブからです。

完成時には250個だった電球の数もどんどん増やし、最終的に696個まで増設されましたが、電球切れが目立つときがよくあったそうです。
昭和時代

某アイドル歌手がきっかけを作った?

某アイドル歌手が新幹線から眺めたタワーを見て、「東京タワーの電球がところどころ切れていて、みっともないから直してほしい」と苦情の電話があり、このことが電波塔の幹部職員たちの心残りになっていたそうです。そして30周年を期に、照明の見直しが始まったそうです。

その頃の東京タワーは、廃れたテレビ塔といったイメージで、その存在は薄くなっていました。


ランドマークライト・ダイアモンドヴェール

ランドマークライト


ランドマークライト
(1989〜)

そこで、日本電波塔は、世界的に有名な照明デザイナーの石井幹子氏に照明デザインを依頼しました。

余計な荷重を避けるため、なるべく少ない灯数で効果的な照明効果をねらい、エッフェル塔の照明の半分の電気容量に抑えることを目指したそうです。そして、石井氏は「ランドマークライト」(夜空にタワーがオレンジ色に浮かび上がる照明)を完成させます。

このライトアップで東京タワーは、夜の東京の顔として威厳を取り戻しました。今後は東京のパワースポットのようになっていくのではないでしょうか。


ダイアモンドヴェール


ダイアモンドヴェール(2008〜)

50周年を記念して、2008年から7色に変化する新しい照明デザイン「ダイアモンドヴェール」が加わり、より女性的になりました。

このダイアモンドヴェールは、設定されている時間帯があり、金・土曜日と祝日の20時〜22時の2時間限定で登場します。今後も「ランドマークライト」と「ダイアモンドヴェール」は平行して行われていくそうです。7色それぞれの色にはメッセージが込められています。

白(永遠・継承)、黄(希望・祝祭)、青緑(地球・平和)、赤紫(夢・幸福)、青(水・命)、緑(自然・環境)、赤(愛・感謝)

「ランドマーク」に切り替わる午後10時になると、下から一段ずつ順にライトが消える「ライトダウン」を観ることが出来ます。


気になる電気代
ダイアモンドヴェールが始まった2008年から、「ランドマークライト」は3割ほど明るくなって、しかも電気消費量は20%減少させることが可能になり、その電気代は1時間に3千円になります。「ダイアモンドヴェール」はさらにその半分の電気量(1時間に千5百円)だそうです。

東京タワーのまとめ

東京タワーが作られたきっかけ
タワーの建設をのきっかけを作ったのは、当時の郵政省電波管理局長が新聞に「新年の夢」と題した投稿でした。

その内容は「6つのテレビ局の放送塔を1本にまとめ、500メートルの鉄塔を北の九公園のあたりに建てる。その鉄塔に展望台を設置して観光利用する。そして羽田の国際空港からモノレールを敷設する」。この投書が引き金になって、タワーの建設が現実化に進みました。

6つのテレビ局とは、当時既設のNHK、日本テレビ、ラジオ東京(現TBS)、そして新しく加わった、NHK教育、富士テレビ(現フジテレビ)、日本教育テレビ(現テレビ朝日)のことで、東京に6本も電波塔が建つと危惧されていました。

東京タワーを作った男

前田久吉

そこに名乗り出たのが、産経新聞の創業者で、後に「東京タワーをつくった男」と呼ばれる前田久吉です(東京タワー蝋人形館には前田久吉がいます[写真])。

久吉は、同年(1957年)の5月には、日本電波塔株式会社を設立し、本格的にタワーの建設がはじまりました。当時世界一の高さを誇る、パリのエッフェル塔(324m)をかなり意識した設計でした。

久吉らが立てた当初の設計案では、「アンテナを含めた展望台を組み込んだ380メートルの鉄塔、塔の下には5階建ての科学館」ということでした。結局、アンテナの揺れを最小限に、電波の安定した発信を保つため、半径100キロメートルのサービスエリアを持つことが可能な、333メートルになりました。



tokyo tower

東京タワーのデータ
全長 333メートル 総重量 4000t
避雷針の全長 1.64メートル
大展望台の一辺 28メートル
特別展望台直径 13メートル
塔脚間 90メートル
窓の数 大展望台 928枚、特別展望台 48枚
建設費用 28億円(現在の価値で約300億円)
建設人員 総勢219335人

オフィシャルホームページ

東京タワーは、電波アンテナとそれを支える鉄塔の2つの部分で構成されています。253mの鉄塔の本体の上に80mのアンテナが設置されています。重さは約4000トンですが、基礎はその4倍にあたる約16000トンの重量に耐えられる設計になっているそうです。

本格的なTV放送時代の幕開けを飾った東京タワーですが、東京スカイツリーが登場して、「今後の役割」が注目される東京タワー。現在では、FM放送のアンテナとして放送電波を発信、JR東日本の防護無線用のアンテナ、東京都環境局の各種測定器など、その電波塔としての仕事はまだまだあります。

3分の1は米国の戦車

鉄骨とリベット

この塔に要した鉄材は、3600トンで、実際は付属物まで入れれば、鋼材総重量約4000トンあるといわれています。


(エッフェル塔は7300トン、非金属部分を含めると約10000トン)タワーの主な建築の材料になる鉄骨の各パーツの重さは5~10トンになり、大型のもので20メートルを超える長さだった。


よく見ると鉄骨にはたくさんのリベット(鋲)が打ち付けてあります。このリベットは直径2cm、長さ10cmで、279075本使われているそうです。ちなみに使用されたボルトの数は46521本です。


東京タワーと戦車

50年代、急成長期の日本は鉄不足だった

朝鮮戦争が1953年に休戦になったため、大量のアメリカの軍需物資が、日本に流れてきた。そのうちM4シャーマン戦車、M47パットン戦車など90台を落札を民間業者が落札。この90台の戦車は解体・溶鉄されて、1300トンの鉄材に姿を変えた。

その鉄骨1300トンは東京タワーの展望台より上部分に組まれているようです。米軍の戦車は、良質な特殊鋼だったそうで、東京タワーの上部は特に丈夫にできているそうです。


M47
m47 戦車
M4

m4 戦車


赤い理由

東京タワーのペンキ

東京タワーは赤色だと思われがちですが、厳密には「朱色(黄赤色)」です。 設定されている色は、インターナショナルオレンジと白の縞模様です。その「赤い理由」として、昼間の航空事故の防止策として、この配色になっています。

インターナショナルオレンジ
(カラーコード #ff4f00)
航空宇宙産業が定めた色名。また、航空法の「昼間障害標識の種類及び設置基準」では黄赤色と呼ばれています。 以前はもっと「黄色が勝ったオレンジ色」でしたが、白化(白っぽくなる)を避けるために、近年では赤色を強くしているそうです。



東京タワーは5年に1回(費用8億円)、現在まで9回のペンキでの全面塗り替え作業が行われています。

使用されるペンキの量

東京タワーの総塗装面積は、94000平方メートル。使用するぺンキの量は、33000リットルになります。 容量18リットルの一斗缶にして約1833缶分になります。これを縦に積み上げるだけで約640mになり、それだけでも東京タワーの約2倍になってしまいます。

学校プールの水の量の50倍

25mプール(一般的な幅は15m~20mなので17.5m、水深1.5mで設定)は、 25m×17.5m×1.5m=656.25㎥で、約660立方メートル(660トン)になります。

25mプール



なので、33000÷660=50 25mプール50杯分のペンキが必要になります。


これを約4200人の職人が、塗料の空中飛散を避けるために、スプレーを一切使用せず、丁寧にハケで一年間かけて作業しています。過去の塗装作業には、北野武氏の父である北野菊次郎さんが携わっていたそうです。

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